サフラン
プリテンダーズ・PV http://www.vh1.com/artists/az/pretenders/videos.jhtml
「とうとう」念願のものを手に入れるのは、誰だって(もちろん私も)嬉しいのだが、そこに「とうとう」ということばが入ると、念願のものに向かって刻苦勉励する気配が濃厚になる。高みをめざす姿勢がきりたってくる。それが、どうやら私は苦手らしい。[この「…
自分はよほど食べ物にかんしていじきたない人間なのだろうと、いつも思っている。妙なものに(自分では決して妙とは思っていないのだが)執着を示し、いったん執着したとなると、そればかり食べる。以前には、知人のおばあさんがつけたというたくわんにすっか…
毎日新聞の書評で知った。これも読みたい。
『日本人の戦争観―戦後史のなかの変容 (岩波現代文庫)』読了。「戦争観」と言っても、この本は戦争一般にかんする日本人のイメージを論じたものではなく、あくまで前の「アジア・太平洋戦争」をめぐって日本人が戦後どのように考えてきたかという、「歴史観…
(…)僕が放埓で病気で何の取りえもなければ、それだけ、僕はわれわれの話し合ってるあの芸術の偉大なルネサンスの中で、芸術家となり創造者となれるといい。 たしかにその通りにちがいない、しかし芸術は永遠に存在し、切り倒された古い幹の根から生え出た緑…
気を紛らすこと。 人間は、死と不幸と無知とを癒すことができなかったので、幸福になるために、それらのことを考えないことにした。(168) 惨めさ。 われわれの惨めなことを慰めてくれるただ一つのものは、気を紛らすことである。しかしこれこそ、われわれの…
(…) われわれが最も深刻に、極く個人的に悩んでいるものは、他人の誰にもほとんど理解されえないし、窺い知られないものである。その点では、われわれは、一番親しい人の眼にも隠された者である、たとえその人がわれわれと同じ釜の飯を食べているとしてもだ…
こんな本から引用すると「あっち側」の人と誤解されそうだが、メモしておきます。 自国に対し、他国があれやこれやの非難を加えてくる。それは誤解だ、誤解を解かなくては、真意を説明しなければ、と自国の政治家は焦る。ないしは"外圧"に反発し、居丈高にな…
人々は、球や兎を追うので忙しい。それは王者の楽しみでさえあるのだ。(141) +中村彝、『エロシェンコ氏の像』(1920)
http://seikyusha.bkdb.net/books/ISBN4-7872-3224-X.html明日のゼミで用いる川村邦光さんの「靖国神社と神社の近代」を読んだ。(論文は『戦死者のゆくえ―語りと表象から』に所収、この本は他にも興味深い論考が収められてある。上記のリンク先参考)。靖国神…
谷崎潤一郎『陰翳礼讃 (中公文庫)』の一節、 第一飯にしてからが、ぴかぴか光る黒塗りの飯櫃に入れられて、暗い所に置かれている方が見ても美しく、食慾をも刺激する。あの、炊きたての真っ白な飯が、ぱっと蓋を取った下からあたたかさうな湯気を吐きながら…
寛容をもって接することと寛容をもって接せられることは、(…)民主的な市民の仕事である。それが簡単な仕事であるとか、取るにたらない仕事であるとはわたしは思わない。寛容それじたい、あたかもそれがわたしたちが同胞にすることのできる最低限のことであり…
ア○ス (レヴォルトコミック (1))作者: しりあがり寿出版社/メーカー: ソフトマジック発売日: 2001/12メディア: コミック クリック: 5回この商品を含むブログ (15件) を見る
彼女は「くだらないこと」「ばかげたこと」に堪えられないので、男の趣味を何とか矯正してやろうと努力します。男たちの趣味をよくしてやれば、そして男たちのニヒリズムを取り去ってやれば、男たちをもっとまじめにしてやれば、戦争なんか二度と起きないで…
藤田:たしかに、女性は教えられたことだけを忠実にやるということがあり、全体を見渡して、自由にものを考えてゆくということが不得手な人が多い。これでは哲学には具合が悪い。ですから、女性はそういう能力をこれからは養うようにしなければいけません。…
このような国家においては、必然的に、自由の風潮はすみずみにまで行きわたって、その極限に至らざるをえないのではないかね。……たとえば、父親は子どもに似た人間になるように、また息子たちを恐れるように習慣づけられ、他方、息子は父親に似た人間となり…
愛。―愛は恋人に欲情をさえもゆるす。(62) ヘレン・E・フィッシャー『愛はなぜ終わるのか―結婚・不倫・離婚の自然史』 恋をしているときほど、苦しみにたいして無防備になることはない。(ジークムント・フロイト)(p.155) なぜ鳥類は繁殖シーズンの終わりに巣…
pp.31-32.「歴史の過剰が生を阻害する」(ニーチェ)「矢の束を折るためには、それらをばらばらにしてしまうのが最良の、そして唯一の方法だ。しかし歴史においては、現実をへし折るのが問題なのではない。その現実を生み出した人間、その現実を表現しているテ…
「個人主義は、歴史の中では、国家化(étatisation)と同じ歩みで進んできた」(デュルケム)(p.91)
わたしのように、ひとりでおれば、それがいちばんよい。然し、もし自制することができないなら、結婚するがよい。情の燃えるよりは、結婚する方がよいからである。 パウロ『コリント人への手紙』、ヘレン・E・フィッシャー『愛はなぜ終わるのか―結婚・不倫・…
宇野邦一『他者論序説 (Le livre de luciole (35))』書肆山田 2000 言葉はうんざりするほどの反復からなり、たえず反復を要求するのだが、反復のなかでかぎりなく襞を増殖してゆくので、必ず不規則で異様な例外を内包し、蓄積していくことになる。それなら一…
「ふたりの人間の出会いは、ふたつの化学物質の接触のようなものだ。何らかの反応が起こると、両方とも変質する。」(カール・ユング)
同時代の歌謡曲における「意味論的な破綻」のもつ社会学的意味―それを見据えていたのは、逆説的なことに社会学者である稲葉ではなく、津村のほうであった(…)。身体的パフォーマンスがもたらす意味を考察することなく、ピンク・レディーを語ることはできない…
最近出たアルンダティ・ロイの『誇りと抵抗―権力政治を葬る道のり』(集英社新書)を読んだ。岩波から出た前作のポリティカル・エッセイ『帝国を壊すために』は、未読なのだが、おそらく、筆者のトーンと主張の内容は変わらないだろう(『帝国を壊すために』の…
私の愛読書の一つに、リルケの『マルテの手記』がある。これはいつも手元においている。ぱらぱらとめくってぼんやりと感慨にふけるのである。異国の地フランス、それも、何も頼るものも友人もいないパリのごみごみとした喧騒の中で、死を意識しながら孤独の…