パスカル『パンセ (中公文庫)』

気を紛らすこと。
人間は、死と不幸と無知とを癒すことができなかったので、幸福になるために、それらのことを考えないことにした。(168)

惨めさ。
われわれの惨めなことを慰めてくれるただ一つのものは、気を紛らすことである。しかしこれこそ、われわれの惨めさの最大のものである。なぜなら、われわれが自分自身について考えるのを妨げ、われわれを知らず知らずのうちに滅びに至らせるものは、まさにそれだからである。それがなかったら、われわれは倦怠に陥り、この倦怠から脱出するためにもっとしっかりした方法を求めるように促されたことであろう。ところが、気を紛らすことは、われわれを楽しませ、知らず知らずのうちに、われわれを死に至らせるのである。(171)

われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶壁の方へ走っているのである。(183)


気を紛らすことをしなければ、倦怠に陥る。それが嫌で、「もっとしっかりした方法」を見つける前に、われわれは気を紛らせてしまう。このような「目をさえぎるもの」がなければ、「死」や「不幸」に直面せざるを得ない。だからわれわれは、そこから眼をそらし、なぐさめてしまう。それが、「気を紛らすこと」だ。気を紛らせば、それは死への道を着々と準備することに加担してしまう。そうやってどんどん死につつつある。ここでパスカルが「死に至らせる」と言っているのは、あるべき「生」からどんどん遠ざかっていくという意味である。気を紛らしてしまうような「生」はすでに死んだ「生」(「惨めな」「生」)なのだ。われわれは真に「生」きたことなどないのかもしれない。