辺見庸『永遠の不服従のために (講談社文庫)』

cinna85mome2005-05-22


こんな本から引用すると「あっち側」の人と誤解されそうだが、メモしておきます。

自国に対し、他国があれやこれやの非難を加えてくる。それは誤解だ、誤解を解かなくては、真意を説明しなければ、と自国の政治家は焦る。ないしは"外圧"に反発し、居丈高になる。だが、それはほんとうに単なる「誤解」なのだろうか。ポイントはここにある。それはひどい誤解だ、歪曲だと、自国の者たちがいくら歯ぎしりしようが、他国の目にそのように映じてしまった像こそが、そのときの国家の実像ということにもなるのではないか。なんとならば、国家はひとりであるのでなく、他の国家に対して国家なのだから。(19ページ)


「他国の目にそのように映じてしまった」とあるが、そのように映じないようにしようという方法が確かにあると思われるし、中国と韓国もそれを選択できるはずである。両国が、首相の靖国神社参拝に反対するのは、政治的な判断からプラグマティックに対応しようとする意図があるだろうから、この筆者の言には全面的に賛成ではない。ある国家が他の国家をどう見るかというときに、それが「実」像なのかそうでないのかを判断することはできないだろう。しかし、「真意」を説明する、わかってもらえるよう努力する、と言って、相手国がそうしてくれる見込みもなしに、主張を貫くこともまた政治的な判断である。それはリスクを背負うゆえプラグマティックな行動ではないが、それと同じくらい、寛容な行為でもない。