[日記][フランス][留学]

おかげさまで、これ、合格しました。

まだ、正式に決定ではないらしい。有り体に言えば、「内々定」という感じでしょうか。そのため、今のところ留学資金の支払いは保証されていません。大丈夫だとは思うんだけれど。

受け入れ先の大学にぼくの方から手続きをする必要はないらしい。外務省がやってくれるんだって。


というわけで、なんとかなりました。

いまだに、通った理由がよくわからないのですが、まあいいか。


あまり自分のおべんきょには関係ありませんが、おもしろそうな新刊が沢山出ています。いつか読みたい。


La République en représentations : Autour de l'oeuvre de Maurice Agulhon

Idée nationale et architecture en Europe 1860-1919 : Finlande, Hongrie, Roumanie, Catalogne

Une France en Méditérranée : Ecoles, langue et culture françaises, XIXe-XXe siècles

ご無沙汰しております。

長い間書くのを忘れていました。もう2ヶ月もすぎたのかと思うと時間の経つのが早すぎていやになります。

トゥールーズの先生の話を書こうと思って書いてなかったので、少しだけ書きます。


先生にも、他の先生と同様「留学の受け入れ承諾書を書いてください」とEメールと手紙の両方でお願いしました。

トゥールーズのこの先生が一番レスポンスが早く、次の日にはもう返事が届いていました。

おそらくものすごく親切な方で、ぼくのおべんきょの計画を、大変誉めてくれました。トゥールーズの先生の「受け入れ承諾書」は、ほとんど推薦状のようになっていました。


結局、たしか2週間以内には、留学の「受け入れ承諾書」を受け取ることができたと思います。


僕は、留学の受入れを3人の先生にお願いしたのですが、総じて、相当スムーズに言ったほうだと思います。これはかなりのところ運によるところが大きいでしょう。1ヶ月経っても、先生からなかなか返事が来ないというのを、いろいろな人から聞いたことがあります。


この承諾書は給費留学試験の願書として必須だったために先生に書いてもらいました。僕の場合は、ここまで丁寧にしてもらったため、試験に落ちるわけにいきません。相当準備して試験に臨まなくてはならない、そう誓いました。

が、そう誓ったも束の間、ほかにやることが多すぎて、結局ほとんど準備しないまま、筆記試験を受けざるをえませんでした。


結果は散々でかなり落ち込みました。もっと勉強しておくべきだったとの後悔の念もありました。


で、1週間くらい前に結果を受け取ったのですが、通ってました。


世の中のことがますますよくわからなくなってきています。


次は面接試験で、10月の終わりごろに東京で行われます。

今度は、必死で、自分のおべんきょのプレゼンをやろうと思います。でも、筆記試験の結果と面接試験の合計の点が合否を決めるので、筆記がそれほどよくなかった僕の場合、面接が相当よくないと通らないだろうなと思います。今度はだいぶ頑張らないといけない。


試験があると思うと気が重いですね。この日記を更新していない間に、某雑誌に論文を投稿したのですが、掲載可否についての返事もまだ届いていません。これもまた重苦しい気分にさせます。

第1回目:http://d.hatena.ne.jp/cinna85mome/20060708
第2回目:http://d.hatena.ne.jp/cinna85mome/20060718


というわけで、今日は第三回目です。

フランスの三人の先生に手紙を出したのが、6月5日くらいでした。エクス=アン=プロヴァンス第一大学の先生が返事をくれたのが、6月25日で、3週間くらいたっています。

そもそも、この先生は、僕が希望したのとは違う先生でした。返事には、僕が手紙を送った先生は、今年で退官されると書かれていました。その先生は来年指導できないから、先生の代わりに私が指導する、ということでした。先生から最近僕の手紙を預かったので、それで返事が遅れたと書いてありました。

前にも言ったと思いますが、僕の問題関心とまったく同じ先生はいないので、僕としては、近現代フランス文化史の先生であれば誰でもよかったのです。とこう言ってしまうと明らかに言い過ぎなのですが、代わりのこの、ヴィシー期の記憶研究で有名な先生は、僕の対象とする時代とは少し違うけれど、アプローチの方法が僕と同じでもあり、この先生自身が「指導できると思う」と書いてくださったので、先生が変わったこと自体はそれほど問題ないように思いました。

しかし、先生から返事をいただいたのが、如何せん遅すぎました。この時期に手紙を出したそもそもの理由が、フランス政府給費留学生の書類に必要な、先生の「受け入れ承諾書」を取得することでした。その書類提出の締め切りが、6月30日だったので、25日にEメールで返事を受け取って、「明日承諾書を送ります」と言われても、手遅れだったのです。

それに、それまでに2通いただいていたので、エクスからの返事は、書類提出においては、なくても全然問題ありませんでした。

結局、30日の午前にエクスから「承諾書」が届きました。僕は30日になるまでに、書類をすでに提出してしまっていたので、全く意味がありませんでした。一応、先生にはEメールでお礼を言っておきましたが。

その承諾書の中身は、5行くらいでした。短かったのですがワープロの文字であり、モンペリエの先生ほど、急いで書いたような印象は受けませんでした。中身は僕の紹介と「私が指導できる」というようなことくらいしか書かれてありませんでした。

「承諾書」なんだから、この程度でもむしろいいほうだとも思うのですが、僕は、その前にものすごく丁寧な別の先生の「承諾書」を受け取っていたので、偉そうにも、物足りないと感じてしまいました。

次回は、その先生、留学として今のところ考えているトゥールーズの先生の返事について書こうと思います。

第二回目(ぜひ前回の日記から読んでみてください)


 前回、3人の先生に「受け入れ承諾書」をお願いする手紙を送ったと書きましたが、今回は、その中で最も愛想の悪かった先生の対応について記しておきます。

 その先生は、モンペリエ第三大学にいらっしゃいます。彼女は、地方経済史に最も力を注いでいらっしゃいます。僕が中心におべんきょしているのは、文化史で、先生のご専門とは違うのですが、先生にも文化史の研究はないわけではなく、また、対象としている時代が似ていること、ぼくの関心の一つである葡萄酒についての研究を精力的にやってらっしゃることから、先生に指導希望の手紙を出しました。

 先生の返事は、今もう一度調べてみると、僕が手紙を出してから、10日後にEメールで受け取りました。そこには、5行くらいで、マスター課程の責任者にぼくの承諾書をすぐに渡したこと、2006-2007年度の過程に受け入れてもかまわないことが書かれていました。

 僕は留学を来年の10月から考えているので、受け入れの希望年度は、2007-2008年度となります。しかし、先生は、勘違いしたのか、僕の手紙をちゃんと読んでないのか、僕のことを今年の10月からの登録を希望する学生だとみなしてしまったようです。

 まちがっていることを指摘しようかと思ったのですが、そのころにはすでにトゥールーズから封書で手紙をいただいており、モンペリエの大学はどうでもよくなっていました。この大学の先生にどう返事を書こうかと考えていると、先生が手紙を渡した「マスター課程の責任者」の別の先生からEメールが届きました。

 そこには「受け入れ承諾書」を手紙でこれから送りますとだけ書かれていました。僕はその返事に、年度が間違っていること、トゥールーズからすでに「受け容れ承諾書」が来ていてモンペリエ第三大学に行くかどうかわからない旨を一応書きました。

 それから次の日にEメールで返事がすぐ来て、そこでは、間違いを直したこと、大学を選ぶのは貴方の自由で、とりあえず「受け入れ承諾書」を送るということをおっしゃってくれました。

 僕は3つの大学に「留学を受け入れてくれ」と無茶な要求をこっそりしていて失礼かなと思っていたのですが、そのことを打ち明けても、少なくともこの先生はなんとも思ってないようでした(もちろん、失礼な輩だと思われているのかもしれないのですが)。

 で、一週間位してからその承諾書が届いたのですが、5分くらいで書いたような手書きのものでした。文章量は5行くらいだったのですが、判読するのに相当時間がかかりました。こんななぐり書きのようなものでも、フランスでは、正式な書類として承認されるんだろうか?そんなことを考えさせられるものすごく汚い字でした(フランスではこの汚さは普通の汚さなのかもしれませんが)。



次回は、エクス=アン=プロヴァンス第一大学の先生の対応について書きます。

[留学][フランス]

 前回書いたように、留学受け入れを求める手紙を、フランスの大学の先生3人に送ったのだけれど、先生の対応に触れる前に、手紙の内容がどのようなものだったかについて、書いておきます。

 手紙を書く前に、僕の先輩や先生にどのような内容がよいか聞いてみました。返答は皆、ばらばらでした。


 ある一人の先輩の話によると、Eメールで自分の勉強している内容を、2行くらいで書いて送ると、先生からすぐ返事が来て、「もっと詳しく教えてくれ」と言われ、A4一枚くらいの文量の研究計画を書いたとのこと。この先輩は、それで受け入れを了解してもらい、現在、勉学に励んでおられます。

 もう一人の先輩は、研究計画をA4で2〜3枚程度のものを用意して、封書で送るのがいいとおっしゃってくれました。Eメールは、先生によって、しっかり確認していない先生もいるし、封書の方がより丁寧だろうという理由でした。この先輩もいまフランスで研究されています。

 僕の指導教授からは、「3枚とか4枚とか、そんな長いのを書いても、先生は忙しいから、読んでくれないよ、1枚か2枚くらいで簡潔に書きなさい」という話を聞きました。

 先生の話が一番もっともらしいと思ったのですが、自分でいざ書いて推敲してみると、4枚くらいになってしまい、これ以上減らせないと思ったので、そのまま送ってしまいました。単語数は、今確認してみると、1600字程度となっています。

 僕は「留学したいので指導してください」という手紙と「研究計画」を二部に分けて送りました。上記3人の方々は、分けるべきかどうかについては、何もおっしゃらなかったのですが、僕は、分けるべきだと勝手に思って、そうしました。

 前者の手紙では、自分の所属する大学と専攻、日本で指導してもらっている先生の名前、おべんきょしている対象、修士論文の題、あとは、DALF C1を取得しているということを書きました。そして、いつから留学したいのかということと、奨学金の書類に必須だった「留学受け入れ証」を先生にかいてもらわなくてはならないということを強調しました。

 以上の内容を、A4一枚半程度(単語数約480字)で、ものすごく丁寧なフランス語を使って書きました。

 参考にさせてもらったのは、「フランス公法学研究日誌」でおなじみのdpiさんが、いつかアップしてくださっていた手紙と、『スタンダードフランス語講座 (5) 手紙と商業文』という本です。後者は30年以上前に書かれた本なので、いまは言葉の使い方がもしかすると変わってきているのかもしれません。

 大事なのは、自分の書いた文章を、フランス人に見てもらうことだと思います。僕の場合、お見知り置きさせてもらっている2人のフランス人の先生に、非常に丁寧に読んでもらいました。

 日本語の添削でも同じだと思いますが、ひとりひとり言葉の使い方は微妙に違います。こっちの先生が「これでいいよ」とおっしゃってくれても、もう一人の先生は「だめだ」という場合がよくあると思います。僕の場合は、一人は50代、もう一人は30代と年齢も違うということがあったせいか、添削してくれた箇所は同じところの方がもちろん多かったのですが、一方はスルーし、もう一人は赤を入れてくれるという箇所が何点もありました。

 訂正の文章に関しては、まったく一致していませんでした。両者の意見を参考にして、自分の考えがよく伝わるなという方の文章を採用しました。

 なので、送った手紙と研究計画は、二人の意見が両方とも反映されたごちゃまぜの文章になってしまいましたが、一人の先生からは、「貴方は外国人なのに全然間違いがないフランス語を書く」とほめてもらいましたので、何とかなったと思います。2人から添削してもらって、両方の意見を参考にして再構成するという方法をとらなければ、ここまでほめてくれなかったんじゃないかと思います。

 2人に添削してもらったのは、読み方がいい加減でしっかり添削してくれなかったら嫌だなと、当初思っていたからなのですが、十分その可能性はあるので、2人以上に見てもらったほうが無難だと思います(僕の場合、幸い両方とも非常に丁寧に見てくださったのでよかったのですが)。

 次回は、先生の対応について書こうと思います。
  
 

フランス

 フランスにいる3人の先生に、「留学したいので、受け入れて☆」という内容の手紙とそれに研究計画を添えて、一月位前に送りました。すべての先生から返事が来ました。

 3人それぞれ対応が違いました。この日記を読んでくださっている留学希望の皆さんには、有益な情報がいろいろあると思います。今後、暇なときにちょくちょく書いていきます。

 ぼくのことを少し言うと、非常に好感触で、最も歓迎してくださったトゥールーズの先生のところでおべんきょしようかなと今のところは考えています。

 詳しくは、次回以降の日記で書こうと思います。

 今書けよ!と思われるかもしれませんが、少しまだ忙しいので勘弁してください。忙しいからで、別に引っぱって気を引こうというつもりはありません。そんなにおもしろくないと思われます。


 そういうことで、取り急ぎ、報告しました。

 

真理より幸せを優先しなければならないか?

別に、小難しい問題を立ててみて、それに自ら答えようとするつもりではない。

さっき、フランス2というフランスのテレビ局の20時のニュースを見ていたら(ネット上で無料で見ることができる)、おととい、バカロレアの哲学の試験があったらしい。タイトルはその試験問題である。

フランスは、大学のほとんどが公立であり、そのほとんどの大学が個別に入学試験を行うようなことはあまりない。バカロレアというのは大学の入学資格であり、これを誰が決めるかというと、それは高校(リセ)である。バカロレア試験は、全国の高校が一斉に行うことになっていて、その意味では、センター試験のようなものである。で、昨日の試験科目は哲学だった。

さらっと聞いただけなので、しっかり聞き取れているか定かではないが、メモしてみる。

試験時間は、朝8時から12時までの、4時間。何ページ書いてもいいらしい。14歳でバカロレア試験に挑戦する、天才数学少年は、9ページ書いたと言っていた(フランスでは飛び級OK) 。

この日記のタイトルに書いたような、非常に抽象的でシンプルな問いが、幾つか並べられてあって、そこからひとつを選んで4時間かけて、論証していく。

試験問題は、「真理より幸せを優先しなければならないか?」の他には、「経験は何かを立証することができるか?」「文化には普遍的価値を担う役割があるか?」などが出された。

で、おもしろいのは、フランス2が、この哲学の試験を哲学者にも解かせていること。といっても、4時間かけて解かせるのはさすがに時間の都合上無理。で、プロットだけをインタヴューしていたのだが、この高名な哲学者、リュック・フェリー(彼の著作はいくつか邦訳でも出ている)は4分で終わったそうだ。

「真理より幸せを優先しなければならないか?」はどのように答えるべきか。あまり詳しく述べられなかったのだけれど、フェリー曰く、二部構成にして、一部目では「たとえ、絶望があったとしても真理は幸せに優先する明晰さである」ことを中心に述べ、二部目では、「道徳が問題となる状況では、人は、幸せを優先して真理を犠牲にしてはならないのかどうか自問するものである」として、論述を進めていくらしい。

もちろん、これはを単なる骨組みなので、これだけ書いても仕方がない。酔っ払いの戯言と変わらない。自分の立論がいかに正しいかを説得的に述べるために、哲学者の言葉を引用しながら肉付けしていって解答を作成するのである。4時間かけてこれをやらせるのが、フランスの高校生の哲学のテストなのだ。

フェリーは、例えば、カントの『道徳的形而上学原論』の中の一節、


「我々が幸せであることを、創造主が望んでいたならば、創造主は我々に自由や知性を与えなかっただろう」


を引用すると語っていた。これにしか彼は触れていなかった。他に何が引用できるだろう。

哲学者ともなると、1000通りくらいの答えを考え出すことができるらしい。そう豪語していた。さすが。