女性と哲学

藤田:たしかに、女性は教えられたことだけを忠実にやるということがあり、全体を見渡して、自由にものを考えてゆくということが不得手な人が多い。これでは哲学には具合が悪い。ですから、女性はそういう能力をこれからは養うようにしなければいけません。

岩崎:そうした能力が今までの女性に欠けているのは、日本ばかりでなく、世界的にみられる現象ですね。

藤田:女性も一人で、家庭に煩わされずに研究できればいいのですが。もっとも、それでは経験が狭くなってしまいますね。哲学者は、いろいろなことを経験しなければならないから・・・

岩崎:この対談は、女性から叱られそうですね(笑)。

藤田:いや、私はいずれにしても女性の味方ですよ。


中公の『世界の名著』シリーズには、各巻に10ページほどの小冊子がついているが、このくだりは、ヘーゲルの巻についていたものから引用した。対談は藤田健治氏と岩崎武雄氏による。両氏とも哲学者。この巻の初版は1967年で、この当時はこういうのが平気で(?)言われていた時代だったのだろう。「哲学者」が「いろいろなことを経験しなければならない」のなら、家事は氏がやればいいだろうと思うのだが、こんなことを言っても「女性の味方」を名乗れるというのは、また、岩崎氏の「女性から叱られそうですね(笑)」という発言が許されてしまうというのは、なんて呑気な時代だったのだろうと思う。このような考え方も、ヘーゲルの本質論、つまり男性と女性の役割というのは本質的に違う、女性は哲学には向いてない、ということから来ているようだ。こういうことも、今の時代にヘーゲルの評判が悪いということと関係してくるんだろう。