三島由紀夫『反貞女大学 (ちくま文庫)』

cinna85mome2005-04-30


 彼女は「くだらないこと」「ばかげたこと」に堪えられないので、男の趣味を何とか矯正してやろうと努力します。男たちの趣味をよくしてやれば、そして男たちのニヒリズムを取り去ってやれば、男たちをもっとまじめにしてやれば、戦争なんか二度と起きないでしょう。すべて戦争は男たちの悪趣味とニヒリズムと不真面目から起こり、平和は女達の良い趣味と実際主義と真面目さによって守られる、と彼女たちは信じています。
 それはまったくそのとおりなのです。しかし男たちは、どんなに努力してもわき道へそれるという厄介な性質をもっており、それがなかったら男ではないほどです。また、一から十まで完全に良い趣味の男というのは、大てい女性的な男ですし、ニヒリズムを持たない男というのは、大てい脳天パアです。
(…)
 ニヒリズムの反対のものとは何でしょうか?少なくとも彼女たちの考える「ニヒリズムの反対物」とは何でしょうか?
(…)
「そりゃ家庭の平和と幸福に決まってますわ。よき父、よき夫たるべく努力し、そうすることに心からの満足を感じる、それこそ男らしい男で、ニヒリストの反対なんですわ」
 男どもは、女たちの主張する「男らしい男」という切り札に弱いのです。男どもは概して見栄坊です(…)。(51-52ページ.)

「男」と「女」の違いというのは、こんなふうに本質的に決められるものなのだろうか。こういうのを読むと、もっともっと「女」らしくなってやろうと思ってしまう。ニヒリズムだって捨て去って「脳天パア」たろうと思う。でも、そうすると、彼に従えば、「よき父」になって「家庭の平和と幸福」を望まないといけないのか・・・。結構なことなんだろうけれど。

こういう類の本は、主語に常に「男」か「女」という非常に大きな範囲のものがきて、どれくらい妥当に言えるのかどうかよくわからない。どこまで信じればよいかよくわからない。こういうのを読んで、中途半端に「男」と「女」を知ったような気持ちになるのは、傲慢で尊大な人間を再生産する、またはそういう性格を再補強するだけのような気がする。人生をちょっとわかった気になりたい人にはおすすめ。

古本屋で見つけたから買ったのだけれど、やはりこういう本はあまり読まないほうが謙虚に生きれるなと思った。こういう「男」論、「女」論はほかの作家もいろいろと書いているので(吉行淳之介とか、あとはもっとあるように思うけど、今思い出せない)、読み比べてみると、面白いかもしれないが、そこにしか面白みはないような気がする。