ジャイアンのエイプリル・フール

 早いもので、明日から4月が始まる。早すぎる。(4月1日は、フランスでは、「4月の魚」Poisson d'avrilと呼ばれるらしい。)

 この日が近づくといつも思い出すのは、『ドラえもん』のジャイアンのび太のエピソード。

 のび太が、今日はエイプリル・フールだから、ジャイアンをからかおうとして、ジャイアンに「しずかちゃんがジャイアンのことかっこいいって言ってたよ」とうそをつく。ジャイアンはそれを聞いてすごく喜ぶんだけれど、のび太にすぐ「今日はエイプリル・フールだよ!」と言われて、だまされたことに気づきかんかんになって怒る。しかし、さすがジャイアン、彼はすかさず天才的な機転を利かせて、「今日は4月2日だ」とうそをつき、まんまとそれを信じてしまったのび太は、いつものようにぼこぼこにされる。

 いつもこれを応用して、うそをついてくる人がいれば、「今日は4月2日だ」と言ってやろうと思うのだけれど、例年、誰もうそをついてこない。明日も多分そうなるだろうな。

six-quatre-deux 6−4−2

 奇妙な言葉を発見した。口語表現のよう。使い方は、à la six-quatre-deuxのみ。faire/bacler --- à la six-quatre-deuxで、「---をいい加減にやる」という意味。
travail à la six-quatre-deuxは、「やっつけ仕事」となる。日常的によく使われているのかしら。ぼくは、会話の中で聞き取った覚えは全然ないのだけれど。

言葉の由来が知りたい。

アレ

 例のアレがやって来てしんどい。そんなときは音楽を聴く。スピッツのなかで、いちばん好きなアルバム、『三日月ロック』。その中でもこの曲がものすごくいい。

川を渡る/きみが住む街へ
あいたくて/いますぐ/飛び跳ねる心で
水色のあの街へ

(「水色の街」)

川の向こうに「きみ」がいて、そこは「水色の街」。街全体が水色に彩られているなんて、なんてきれいなんだろうとおもう。多幸感のあまり死んでしまうかもしれない。

それでも、こう感じ取ることができる一瞬を何としてでもつかみとりたい。家事をしているときも、本を読んでいるときも、用事を押しつけられたときも、あらゆる場所で、あらゆるときに、「きみ」を見つけ出したい。常にそう思う。そういう生を送ることができるよう努力しよう。絶対に。

三日月ロック

 先日、先生と面談したのだけれど、そのときに、今年中に修士論文をもう一度まとめなおして、査読者のいる雑誌に投稿しなさいと言われた。そういうふうにするもんらしく、先輩がおっしゃっていた通りの忠告を受けた。『史林』(京大)か『西洋史学』(阪大)か『史学雑誌』(東大)のどれかだろうが、さて、どこにしようか。

 留学の件についても忠告を受ける。普段からおっしゃってることとあんまり変わらないのだが、なるべく早いうちに決めてしまいなさい、とのこと。はいと答えて、今のところ希望している先生を1人挙げてみる。その先生はパリの大学の先生なのだけれど、パリの先生は、どうも、あまり面倒見がよくないらしい。ほんとなんだろうか? パリは学生が地方の年に比べると多く集まるし、さらに、ぼくの考えている先生は、著作のたくさんある有名な先生で、忙しいとは思うのだけれど、だからといって、地方の大学を選んでしまうと、史料面でちょっと支障をきたすような気がする。学生数の少ない地方の大学の先生が忙しくないとも限らないし、学生が少ないからと言って、その先生が面倒見がいいということには必ずしもならないだろう。

 国立図書館BNF)を筆頭に、史料のアクセスが比較的スムーズにいくパリに比べ、地方の都市は、その面で非常に便が悪い気がする(一度同宿したことのある、仏史専攻のイタリア人歴史学徒もそう言っていた)。グルノーブルの大学には、19世紀末の『官報』(Journal Officiel)さえなかった。地方都市に行くとすれば、比較的大きな都市、トゥールーズとかストラスブールとかリヨンにいけば、『官報』はあるのだが、ぼくの読みたい他の史料はどうなってるんだろう。リール化されているんだろうか。アクセスは簡単なのだろうか。よくわからないので調べて見なければならないのだが、地方の大学は、この意味でリスキーだし、どうしようか。

 受け入れる留学生も、フランス人学生も沢山いるけれど、彼らに対してはむちゃくちゃやさしくて時間を沢山とってくれるパリの大学の先生なんていないんだろうなあ。もう少し考えてみなくては。

 情報随時募集中です。なにか知っていることがあれば、教えてください。むちゃくちゃよろこびます。

Le siècle de Monsieur Pétain

L'histoire littéraire des idées confirme cette interprétation. Elle témoigne de l'incompatibilité entre la liberté humaine et une conception univoque de l'identité, qui enferme l'individu dans une appartenance. Lorsque Montaigne écrit, dans les Essais, qu'il "se trouve autant de différence de nous à nous-mêmes que de nous à autrui" (II,1), que l'homme, "divers et ondoyant"(I, 1), n'est "en tout et partout que rapiècement et bigarrure" (II, 20), il ne dit pas autre chose. (Alain-Gérard Slama, Le siècle de Monsieur Pétain, Paris, 2005, pp.55-56.)

 cette interprétationとは、ここでは、個人のアイデンティティーは、単層のものではなく、常に複層のものとして形成されるものであるという解釈のこと。著者の定義によれば、「アイデンティティとは、自己の構築の過程のことであり、この過程によって、個人は、特殊な経験から、時間の流れの中に自身を置き、普遍へと到達できる」。しかし、モンテーニュの引用のみで、「思想にかかわる文学史がこの解釈を裏付けている」などと言ってしまっていいのか。個人的な感想というか心情では、モンテーニュのような考え方はすごく好きなのだが。『エセー』をちゃんとよみたい。

flambeau
Ce qui éclaire (intellectuellement ou moralement): lumière: Le flambeau de la liberté du progrès. "Le savoir est le patrimoine de l'humanité", le flambeau qui éclaire le monde".(Pasteur).

Passer le flambeau à qqn ; lui laisser le soin d'assurer la continuité d'une action déjà commencée. "Le flambeau de l'Europe, c'est-à-dire de la civilisation, a été porté d'abord par la Grèce, qui l'a passé à l'Italie, qui l'a passé à la France". (Hugo).

flambeauと引けば、「松明」といちばん最初に出てくるのだが、この意味だけではなく、いわゆる、蒙を啓くという意味での「光」という意味も出てくる。プチ・ロワイヤル仏和では強調されていない。

De façon ou d'une autre, il faut que la France dans l'univers soit le flambeau.

これもパスツールユゴーが言ってそうなのだが、そうじゃない。これについてはまた今度。

DALF C1

c1


 DALF C1のディプロムを、試験会場まで取りに行ってきた。それくらい送ってくれよとも思うが、紛失するのを懸念して郵送することは控えているよう。このディプロム、再発行できないらしい。あたりまえか。写真がそのディプロム。

今年はまず、奨学金を探して、フランスの先生にアポイントを取って、来年の9月から留学できたらいいなと考えているのだが、いまのところ、2007-2008年度の奨学金情報はあまりないように思われる。

 これに挑戦しようなどと、無謀なことを考えているのだが、更新されていない。