真理より幸せを優先しなければならないか?
別に、小難しい問題を立ててみて、それに自ら答えようとするつもりではない。
さっき、フランス2というフランスのテレビ局の20時のニュースを見ていたら(ネット上で無料で見ることができる)、おととい、バカロレアの哲学の試験があったらしい。タイトルはその試験問題である。
フランスは、大学のほとんどが公立であり、そのほとんどの大学が個別に入学試験を行うようなことはあまりない。バカロレアというのは大学の入学資格であり、これを誰が決めるかというと、それは高校(リセ)である。バカロレア試験は、全国の高校が一斉に行うことになっていて、その意味では、センター試験のようなものである。で、昨日の試験科目は哲学だった。
さらっと聞いただけなので、しっかり聞き取れているか定かではないが、メモしてみる。
試験時間は、朝8時から12時までの、4時間。何ページ書いてもいいらしい。14歳でバカロレア試験に挑戦する、天才数学少年は、9ページ書いたと言っていた(フランスでは飛び級OK) 。
この日記のタイトルに書いたような、非常に抽象的でシンプルな問いが、幾つか並べられてあって、そこからひとつを選んで4時間かけて、論証していく。
試験問題は、「真理より幸せを優先しなければならないか?」の他には、「経験は何かを立証することができるか?」「文化には普遍的価値を担う役割があるか?」などが出された。
で、おもしろいのは、フランス2が、この哲学の試験を哲学者にも解かせていること。といっても、4時間かけて解かせるのはさすがに時間の都合上無理。で、プロットだけをインタヴューしていたのだが、この高名な哲学者、リュック・フェリー(彼の著作はいくつか邦訳でも出ている)は4分で終わったそうだ。
「真理より幸せを優先しなければならないか?」はどのように答えるべきか。あまり詳しく述べられなかったのだけれど、フェリー曰く、二部構成にして、一部目では「たとえ、絶望があったとしても真理は幸せに優先する明晰さである」ことを中心に述べ、二部目では、「道徳が問題となる状況では、人は、幸せを優先して真理を犠牲にしてはならないのかどうか自問するものである」として、論述を進めていくらしい。
もちろん、これはを単なる骨組みなので、これだけ書いても仕方がない。酔っ払いの戯言と変わらない。自分の立論がいかに正しいかを説得的に述べるために、哲学者の言葉を引用しながら肉付けしていって解答を作成するのである。4時間かけてこれをやらせるのが、フランスの高校生の哲学のテストなのだ。
フェリーは、例えば、カントの『道徳的形而上学原論』の中の一節、
「我々が幸せであることを、創造主が望んでいたならば、創造主は我々に自由や知性を与えなかっただろう」
を引用すると語っていた。これにしか彼は触れていなかった。他に何が引用できるだろう。
哲学者ともなると、1000通りくらいの答えを考え出すことができるらしい。そう豪語していた。さすが。