cinna85mome2006-06-10


来年の9月から予定している留学について、動きがあったので、時間があるときにちょくちょく書いていこうとは思っているのですが、まだ完全には事が済んでいないこと、留学準備のほかにやらないといけない用事がかなり残っていること、などの理由で、書き込みを始めるにはまだちょっと時間に余裕がありません。

翻訳の仕事が来たことも大いに関係しています。締め切りはもっともっと後なのですが、締め切りよりだいぶ先の留学前には仕上げたいと思っています。できるかしら?

といいつつ、藤田嗣治の特別展に足を運んできました。ここに書き込むより、この展覧会を優先させてしまいました。時間に余裕あるやんけ。自分に対しては、今日の展覧会は、育英会(とは今は言わない)の第一種奨学金が振り込まれていたことのお祝いなんだと、言い訳しておきました。

20年代の「乳白色」の作品しか知らなかったのですが、そのほかにもいろいろ鑑賞できて勉強になりました。

戦後の作品は、なんというか、非常に技巧的なイラスト作家の挿絵が拡大コピーされたような印象を受けました。


他にも気になった点を列挙すると、

・自画像などに登場する猫や、犬や狐など、動物が登場するタイミングがいまいちよくわからない。彼は、1930年代にパリを離れ、南米を回った後、日本にかえってくるらしいのですが、その頃には動物が、今日鑑賞した中では一作品を除いて、登場しない。なぜか。これについての先行研究が知りたい。

・動物をわざわざ画面の中に登場させる意味について。

・女性の衣服の模様などには、非常に気を遣って丁寧に細かく花の図柄を描き込んでいる。衣服は青や赤など特徴的で、モデルや部屋の雰囲気とは対照的に明るく描かれている。これは彼が意図的にやっていたことだろうけれど、それはなぜか。他の作品と比較してみてどうか。

・初期の頃の作品は陰影が非常におおらかに描かれ、モデルの肉感がわかりやすく描かれていたが、それが後期に行くにつれてだんだんとなくなっていくような印象を受けた。なぜか。

・描線が後期に行くにつれて細くなっていく。なぜか。


美術鑑賞は大好きで、美術館という空間そのものにも、なんというか、フェティッシュな愛着を覚えてしまいます(実はこのあたりは自分のいまやってることとも少し関係してくる)。しかし、完全な素人であることに変わりはなく、上に書いたようなことは的外れな指摘だとは思いますが、メモとして残しておきます。美術史ってどうやって研究するんだろう。とっかかりはこんなものなんでしょうか。

よく考えれば、というかよく考えなくても、美術館では、壁に作品があって、それを、人間が、神妙な顔をして、わかったようなことを言い、じっくり眺めつつ移動する、というようなことが許されている、ということに気付きます。美術館というのは、非常に奇妙な装置だとつくづく思います。