ジャック・シャルドンヌ『愛をめぐる随想 (新潮文庫)』

原題は、L'amour, c'est beaucoup plus que l'amour。『愛、それは愛以上のもの』となるか、もっと訳して『愛、それは愛よりはるかに豊かなもの』としてもいいかもしれない。この題の意味は、愛は、愛だけで存在するのではなくて、肉慾とか、悩みとか、年齢の問題とか様々なものが必ず付随してくるということのようだ(p.21)。

ジャック・シャルドンヌは1884年生まれと、後ろの解説に書いてあるが、この本の初版が何年に出版されたかどうかは書いていない。ウィキペディアで調べてみると、1937年から1957年にかけて書かれたものらしい。奥付にあるように、アルバン・ミシェルから1957年に出たのが初版ということでいいようだ。

体裁は、箴言を寄せ集めたもので、適当に抜き出してみると、たとえば、

……愛を生みなし、かつ保ってゆくものは、お互いどうしの些かの抵抗、本質に根ざす軽微な不協和にほかならない。だからこそ愛は、多くの場合、男女のあいだにしか存在しないのだ。…… (p.38)

とあるように、ヘテロセクシャルが彼の恋愛観の根幹である。この手の本によくあるように思われるが、著者は「男は・・・」だが、その一方で「女は・・・」という書き方をよくしていて、ほんまにそうなんかいな、と突っ込みを入れる箇所が多数見つけることができる。たとえば、

 女は移ろい易いものだ。すくなくとも女は、変化というものにすばやく順応する。現に女は、いざ結婚となると、何から何まで棄ててしまうではないか?(p.47)

とか、

 フランスの男性のいちじるしい特質は、まじめさということだ。彼は実生活のうえの安楽や利便を軽蔑し、ユーモアを殆どたしなまず、家庭を愛する。つまり、まじめなのである。これは世界じゅうで一ばんまじめな人間である。彼はひとりの妻を欲する。しかもそれは一あって二あるべからず、召使のようであっても困るし、さりとてまた、そんじょそこらの国でよく見かけるように、立派な教育のおかげ水臭いながらも保たれている、とおり一遍の世俗的な関係であっても困る。妻はあくまで自分と同等のものであり……こちらと水いらずの仲にあるものでなければならない。…… (p.69)

 アジア人女性がものすごく好きなフランス人の友人の一人は、アジア人女性好きの理由を、「いつもにこにこしていて、かわいくて、言うことをよく聞いて、やさしいから」と言っていた。アジア人女性をとりたてて好きな人もそんなにいないような気がするので、こちらがレアケースなのかな。上に書いたようなことが主流なのかな。よくわからない。


最後の引用。

 愛についてのわたしの考えは幾たびか変遷した。最初わたしは、愛は一つの創造と考え、次いで、それは完全さへの嗜好であると考えた。後に至って今度は逆に、それは一人の女性をあるがままに受けいれること、−真に自分自身であり、若くあることも老いゆくことも共に許されている一人の自由な女性を、受け入れること、そんなふうに考えだした。(p。43)

「一人の女性をあるがままに受けいれること」、というように曖昧なままおわらせるのではなくて、よくわからない「自分らしさ」を前提して無批判に肯定するのではなくて、どのように受け入れるかをもっと真剣に考えることが重要なような気がする。


恋愛論関係の本ってなかなか当たりが出ない。フランスで、リブリオのシリーズ(大体2ユーロ程度)のAmour, désir, jalousieという本を買って積読状態になっているので、暇なときに適当に何フレーズか訳してみようかしら。