ヨーロッパ連合憲法条約「ノン」について②

cinna85mome2005-06-01


昨日の日記だけではやはり誤解を与えてしまうような気がしたので、付け足しておきました。

今回のフランスの国民投票で勝利した「ノン」というのは、フランス人の過半数EUというヨーロッパの統合そのものを否定したということではまったくない。そんなことはぼくも全然考えてない。昨日書いた日記ではそう読み取られる恐れもあるかもしれないが、「ノン」はそもそも、今後課せられることになる「ヨーロッパ憲法」に対する「ノン」である。

昨日、『拡大ヨーロッパの挑戦―アメリカに並ぶ多元的パワーとなるか (中公新書)』に載せられていたEUに関するアンケート調査を見て、ぼくが想像していた以上に、フランス人のEUへの関心が低いということ(この調査も2002年のものなのだが)にかなり驚いてしまったために、昨日のような書き方になってしまったが、そこでとりあげたテレビ報道による人々の直接の声(「ヨーロッパ、私にはどうでもいい」などなど)というのも、そこまで言う人はかなりの少数派であろう(そういうひとばかりをとりあげていたFrance2の報道のやりかたはおいとくとして)。

日本での報道(http://www.asahi.com/international/update/0530/003.htmlなど)では、ヨーロッパ連合憲法条約の批准拒否の理由として、東欧からの安い労働力の流入、トルコ加盟の流れ加速などしかあげられておらず、「ノン」派の主張の厚みをもっと伝えるべきだと思う。といいつつ、僕があんなことを書いたのは、やはり憲法批准否定の理由の第一に経済社会状況への不安があげられているというのは事実であり、そのことは、「国益」(のみ?)を優先してきたフランスのヨーロッパ政治において、EUへの不信感の核であり続けているからである。

上記のような非寛容的態度が根深くあるということをおさえたうえで、憲法条約への反対とEUそのものへの反対はまったく別次元の問題であるということをしっかり主張した「ノン」派がどれくらいいたのだろうか。極右、もしくはシュヴェヌマンのような反動的なジャコビニストと一線を画す議論を綿密に展開していたのだろうか。このへんはまったく不確かなのだが、そこにはデマゴーグと称されてしかるべきもののあったのだろうと思う。たとえば、Attac Franceのサイト(http://www.france.attac.org/a5116)を見ると、「ヨーロッパの名で反対する」とか「ヨーロッパに反対なのではなく、ともにつくっていくもう一つのヨーロッパには賛成する」と主張されているが、それがなぜ「ノン」に投票することと結びつくのか。「ノン」に投票すればそれは本当に実現可能なのかどうか、その道筋が明快に提示されていただろうか。「新自由主義的」で「フェミニスト」的ではないこの憲法に賛成してしまえば、ほんとうに「民主主義」的で「フェミニスト的」、そして「平和主義」を志向するヨーロッパをつくることができなくなってしまうのかどうかということが明快に論理的に説明されていなかったように思われる。

「ノン」派のなかに、庶民の閉鎖性を「ノン」という主張によって追認してしまっていることに対してなんの屈託もない者がいるのであれば、それはヨーロッパにとってもフランスにとっても大きな問題となるだろう。今後「ノン」派が考えなければならないのはそのことなのかもしれない。