cinna85mome2004-05-28


 「ラ・ファム」とは英語では「the woman」、日本語では女性という意味であるが、フランス語の定冠詞laがつくと、厳密に言えば、「女性というもの」というニュアンスを持つ。歴史家は、その「女性というもの」の構築に貢献してきた。

 フランス革命史において、名前の残っている有名な数少ない女性のうちの一人に、シャルロット・コルデーがいる。彼女は、『民衆の友』という新聞を切り盛りしたモンターニュ派のマラーを、その入浴中に単身で乗り込んで殺害する。

 トマス・カーライルは大著『フランス革命』の中で、彼女を次のように描き出す:

「この麗しい女性のみには、完全無欠なるもの、一個の決意が宿っている。勇気とは、彼女にしたがえば、何人といえども身を犠牲にして国家のために尽くす精神にほかならぬ。この麗しく若きシャルロットが突如として流星のように静寂な境地からおどり出て、半ば天使のごとく半ば悪魔のごとく光焔をはなちながら、むごくもいじらしくもおどり出でて、一瞬ひらめき、たちまちにして消え去り、かくて長い幾世紀のあいだ、人の記憶にとどまるとせば――それほど彼女は光彩もあり、完璧でもあったのだが――、そもそも如何。・・・歴史はシャルロット・コルデーなる一個の麗しい幽霊に張膽明目することであろう。・・・この小さな生命がいかに燦と輝き、やがて夜の闇に消えうせたかに注目するであろう」

 何事にも動じず、屈せず、強固な意志を持ち、情熱の中で躍動するシャルロット・コルデー。このようなモデルに、ミシュレも呼応し、好意を持ってさらに付け加える。:

「平然と流血をみる残忍な男まさりの女。そんなコルデ嬢を想像してもらっては困る。事実は逆で、この襲撃を決意したのは、人々の流血をやめさせるためであった。殺戮者を殺戮することによって全世界が救えると彼女は思った。やさしく、穏やかな、女らしい心持ち主だった。彼女が自分に課した行為は、憐憫の行為なのであった。・・・これ(彼女の肖像)をみると、えもいわれぬやさしさが感じられる。・・・この悲壮な肖像においても、彼女の風貌はその国の女たちに見られるごとく、思慮深く、分別のある、まじめな感じである。・・・」

 ジロンド派であった彼女の勇敢さは、敵対するモンターニュ派の有力者マラーを刺殺する。革命の動乱における両派の政治闘争の中の、ひとつの暗殺事件は、「女性というもの」、「女性」の理想を具現した、あるひとりの少女によってなされた、「フランス」のための、結果的には命をかけた(シャルロット・コルデーはまもなくギロチンへ)献身的行為となる。つまり、「ジロンド派が彼女に与えた影響は皆無である」とするミシュレの言によくあらわれているように、それは、「フランス」に尽くす理想の女性の勇猛さと表象し直され、理想の「フランス人」「女性」の鏡としての性格を持つことになったのである。