cinna85mome2004-05-24


以前に自分で書いていたものをアップします。ルソーの民主主義とファシズムの親近性について、フランスの歴史の文脈も考慮して述べてみました。少し長いですけれど、感想あればよろしくお願いします。


「ルソーの民主主義と「ファシスト的公共性」」
 
 近代におけるフランスの政治のなかで問題にされる民主主義を、ルソーの思想を中心に「ファシスト的公共性」の観点から、「ファシズム」とどのように関連するかを述べてみたい。近現代フランス史上に「ファシズム」が登場する、ということを聞くだけで、驚く人がいるかもしれない。フランスにおいては、ヴィシー期を除いて、人民戦線やロマン・ロランなど文筆家の団結などから、「ファシズム」には徹底して反対し、その反啓蒙的な全体主義を嫌悪したというような認識が一般的に言って妥当なところであろう。しかし、「ファシスト的公共性」という概念を設定すると、アクション・フランセーズやクロワ・ド・フーなどのいわゆるファシスト団体とは別の位相で、つまり、ファシスト団体とは全くかかわりを持たず、彼らと同列で「ファシスト」との呼称を受けることなどなくとも、フランスの政治は、その中心にファシズム的な要素を包含しうまくコントロールしながら進展してきたということが時に看取され得る。ここで、フランス政治におけるファシズム的な要素なるものを、民主主義の原理から「ファシスト的公共性」を準備する要素であると仮定し、それを民主主義との関連からあぶりだしてみたい。「ファシスト的公共性」を利用する政治は反民主主義的なものでも反自由主義的なものでもない。事実は全く逆である。それはフランス大革命の伝統を受け継いだ「啓蒙的」な制度にのっとっている。確かに、「人権宣言」に始まるような、革命で獲得された近代的諸価値が政体の行動原理に反映されているということが、フランスにおいては、政治を正統なものにする最も説得力のある、政体の構成条件である。しかし、そのような栄光ある近代的諸価値はそれほど称揚されるべきものではないのではないか。フランス革命を、そしてフランスの政治を手放しで礼賛する前に、その政治から「ファシスト的公共性」の成立の潜在性を読み取り、ファシズムと民主主義の距離について敏感であるべきではなかろうか。

 本稿においては、「ファシスト的公共性」の内容を簡潔に述べ、その成立を助けたルソーの思想について述べる。フランス近代政治の実態としては、具体的にはその思想的な基盤を支える「ジャコバン主義」から、19世紀中葉の「ボナパルティズム」や世紀末の「ブーランジスム運動」、そして「ゴーリスム」との関係にも言及し、ルソーの民主主義がいかにファシズム的なものと近い要素を持っているか、ということを指摘したい。
 「ファシスト的公共性」とはハーバーマスの定義する「市民的公共性(ブルジョワ的公共性)」に対置されるかたちで成立する公共圏を指す。ハーバーマスによれば、サロンやカフェ、読書サークルを通じた自律した市民が「公衆」となり、つねに公の目にさらされながら討議を経て、合意を獲得していく政治プロセスの成立する場が「市民的公共性(圏)」である。この公共性(圏)は国家と社会の分離を前提として両者を媒介する社会空間であり、歴史的に言えば17世紀以後のヨーロッパに成立する。ここから市民は討論によって「輿論」を紡ぎ出し、国家権力を制御するのである。これに参加できるのは「教養と財産」をもった市民である。当然、そこから大半の住民が排除されていたのであるが、その無教養な民衆に対して、「市民的公共性」の外延で発達した公共性が「ファシスト的公共性」である。これは、一次大戦後、つまり総力戦体制後に目立って、政治的祝祭や行列、屋外集会など、宣伝が徹底的に民主化されたのを契機に生み出されたものである、とされる。こうしたなかで、国家と社会の一体化が実現され、この公共性が、両者を包むポスト・ブルジョア的公共性としての国民的公共性となるのである。それに参入できるのは同じ「言語と国籍」を有する者のみであり、そこでは、「理性的な討議」によってではなく、「参加する」という感覚と、美醜や好悪という感情的な判断基準によって、共感や「世論(せろん)」、合意がつくりだされるのである。政治制度的には、大衆民主主義を引き受ける普通選挙制が最も重視される。討議によって緻密に議論を練り上げていく手法をとるよりもむしろ、多数決原理にのっとって情感に最も訴えるものを採用する。ここでこのような合意が最も得られやすい媒体を代表するのが、ラジオ放送などの視聴覚メディアであろう。帰属集団に固有の合意を得るのではなく、既存の伝統的な領域を後退、もしくは破壊させ、新しい共同体の合意、「国民」としての合意を急速に生産できるのである。国民国家の内部に議論を限定した場合、「教養と財産」という市民的公共圏への入場資格より「言語と国籍」という入場資格のほうが圧倒的に「民主的」であるとして受け入れられる可能性は否めない。何を決めたかよりも、決定のプロセスに大衆が参加したと感じる度合いが民主主義にとっては決定的に重要である。人民に政治への直接参加を呼びかけ、より民主的に、より容易に参加感覚を体験させるこのような「国民」的な公共性が「ファシスト的公共性」なのである 。

 しかし、フランスにおいては、このような公共性は総力戦体制の成立した後になって、またラジオ放送が本格的に開始されてはじめて誕生したのではない。視聴覚メディアは「ファシスト的公共性」を補強、強化すれども、ゼロから組成するのではないだろう。というのも、この公共性を構成する核となる民主主義の基本思想は、すでにルソーによってフランス大革命期に与えられていたからである。

 ルソーはイギリスのホッブズ、ロックのみならず、フランス啓蒙思想の合理思想が持つ条件や限界を突破して、徹底した民主主義への展望を切り開き、「人民」や「人民の意志」を至高のものとする政治体を構想した。後述するように、この理念化された「人民」が原動力となって、君主とその政府の存在や、さらにはイギリス流の議会や政党、選挙制度をも否定することとなる。ルソーの想定した民主主義とは、このような代議制などのいわゆる中間団体などをできるだけ拒否する形で、人民に権力を与え人民による支配を実体化させようとするものである。元来、絶対王政が強権的につくりだした支配装置としての領域国家を、被支配者でしかなかった人民がそのまま受け継ぎ、国王の一手に掌握されていた「主権」を人民に帰属させるために、その国家を一人一人の人民の政治参加によってつくりあげられた組織に組み直すことをルソーは考えた(フランス大革命はその一大事業として位置づけられるだろう)。また、権力を引き継ぎ、政治参加を実践する「主権者」としての人民は、「一般意志」にもとづいて共通の利益のために己の身を投じて働きかけようとするべきであるとされた。個人に宿る一種の公共的精神としての「一般意志」がどの程度実現できているかということが民主的であるかどうかの試金石でもあった。

 しかし、ここから次のような問題が生じる。まず、ルソーにとって、主権者である人民の主権とは、一般意志の行使にほかならないから、一般意志が共和国(社会契約 によって法の世界に創造された政治的社会)の意志であるために、一般意志=国家意志=法=主権という関係がここに成り立ってしまう 。国家と社会が、一般意志を奉じる「民主的な」人民の政治的な行動を通じて一体化する構造ができあがるのである。例えば、徴兵制がそれを具体化する制度として挙げられる。もっとも、これは、必ずしも「ファシスト的公共性」を構成するのに必要な与件ではないだろうが、人民が平等であるために、一般意志として、国家意志として要求される人民の行動であった。

 しかし、このような「国家を守る」といった崇高な目的意識を持つ以前に、民主制においてそもそも人民は、主権を平等に享受、配分される(少なくとも人民がそういう感覚を抱いている)。「一般意志」の実現の如何が民主主義の達成に関わると先に述べたが、自己献身を伴う高級な公共精神は後退し、代わりに、「一般意志」を担保する客観的な共同性、つまりその政体に帰属する人民が「国民」であるかどうかということが、最も重要な問いとして人民には相対的に前景化しているだろう。公共生活に「参加」する資格があるかどうかという判断基準、それも目に見えてわかる判断基準が、その簡便さゆえに人民の意識の上では優先されているのは自明である。それは「ファシスト的公共性」を用意する重要な一条件である。ルソーが産みおとした問題の第二の点がこれである。「…すべての愛国者は異邦人に対し頑固である。後者は人間にすぎないし、愛国者の目には無である。…スパルタ人は野心的、貪欲、不公正であるが、国内では、公平無私、衡平、調和が支配している。自分たちのまわりで義務を果たすことを軽蔑して、それらを遠くに彼らの本のなかに探しにゆくこれらコスモポリットを、諸君よ軽蔑せよ。」 このように、実際、ルソーは、見たこともない人への愛を表明する博愛に抗議すると同時に、ナショナリズムを奉ずる愛国者とそれに属さない非「国民」とを峻別し、前者を尊重している。このような感情的判断は、公共圏の中に「同質性」を強要し、これへの参入の条件を、同じ「言語と国籍」を有する者に限定するだろう。逆に言えば、それだけの理由で、「参加」は可能となるのである。そしてそのことは、「ファシスト的公共性」の中では、卑近な差別を生み出し、「国民」でない者を排除しようとする行為に結びつくだろう。シュミットも指摘しているように、民主主義の本質は人民が同質であることであり、異質な者は排除されることも避けられないのである 。モッセはフランス革命人民主権と共に登場した、人民の自己崇拝を視覚化する政治を「新しい政治」と呼ぶが 、例えばルソーの影響を大いに受けたロベスピエールの、「新しい政治」としての「最高存在と理性」のナショナルな祭典は、人民が情感によって合意を形成する「政治参加」の空間と儀礼、そして「国民」の「神話」の創出の場であり、「国民」を可視化しその同質性を再確認するものであった。ルソーにとって、ナショナリズムは主知的理性ではなく、魂からの呼び声、心の底の感情、またある種の「宗教的」な信念からわきあがる合意でなければならなかったのである。祭壇と殉教者への礼拝を要するロベスピエールの祭典は、このような「宗教的」な要請に応えるものであった。それは人民の尊敬と崇拝を一手に集め、強大な権力をもつ指導者への支持の表明でもあった。このような「国民的」イベントは、「神話」の創出と併せて、人民に政治的公共圏への参加の感覚を容易に与えることとなり、イベントには「国民」であれば平等に「参加」できるという意味で、人民にとって民主主義を享受できる瞬間であった。

 ところで、ルソーは「世論」に対してどのように考えていたのだろうか。ノエル=ノイマンによれば、ルソーは「世論」という言葉の創始者である 。「私は自分の眼前で、泥棒、嘘つき、中傷者と認識され、公然とそう宣告されることに、おぞましい恐怖の念ばかりを感じた」とルソー自身述べているように、ルソーの言う「世論」とは、噂や評判といった、道徳的基準にもとづいてなされる判断による「世評」とも言うべきものを指しているようである。論理や討議によって導き出された合意ではない。むしろ共同体に暗黙のうちに認められている合意が「世論」なのである(「…私がここで言っているのは、風習、道徳、慣習、なかんずく世論のことである…」)。このような世論が固定化したものとして「一般意志」はイメージできるだろうし、「一般意志」は上述したように社会の多数者の意見として「法」となるのである(「法というものは、一般意志を決議したもの以外のなにものでもない」)。また、ロベスピエールが具体化したルソーの「市民宗教」も、このような「国民」が集合的に共有する意見の存在を前提として構想されたものであり、その意味で世論の生成物である 。

 この「世論」概念からもわかるように、ルソーの想定する政治社会とは「世論」の支配する社会のことであり、人民は公的な存在となっても常に「世論」という社会の多数者の「意見」の影響下にある。すなわち、公共性の意志が立ち上がったとしても政治社会を規定するのは「世論」であり、人民はそれを積極的に、容易に受け入れるのである。それは、この「世論」が徳、良心の浸透した「一般意志」という同質性を反映したものであるからであり、ここに論理、議論が入り込む余地はない。ハーバーマスの言う討議的性格を備えた「市民的(ブルジョア的)公共性」のような、社会と国家を媒介する公共性を誕生させる方向には進まないのである。「世論」は「一般意志」の現れであり、政治社会を規定する「法」は、別の公共性を媒介せずに「一般意志」を具現するのである 。
この意味で、ルソーの理想とした政治社会においては、議会制度などの代議制を軽視し、ルシャプリエ法などに見られるように、中間団体を排除する傾向が生じてくることが看て取れるだろう。ハーバーマスの「市民的(ブルジョア的)公共性」は議会制度を生み出す根拠となり、その中で「自由」を確保することを保証しようとした。しかし、ルソーによれば、人民と一般意志にもとづく国家とのあいだに紛争はありえず、「自由」は専制に対する個人の擁護として実現されるのではない。ここで、ルソーにとっての「自由」は、社会集団への統合によって、すなわち「一般意志」によってつくられる平等のなかに封じ込められることを予期させるだろう 。
このようなルソーの民主主義が現実化した時代が、実際にフランス政治史を概観すると散見される。まず、山岳派独裁の恐怖政治が該当するだろう。すでに述べたような「最高存在と理性」のナショナルな祭典や、ヴァンドーム広場でのギロチン公開処刑は、同じ「国民」であるという条件の下、情緒による人民の参加感覚を引き出した。ルソーが基礎に置き、山岳派が実践してみせた思想=政治潮流は、テルミドールで消滅したのではなかった。それはテルミドール以後、19世紀のすべての時期にわたって生き延びた。ジャコバン主義といわれる潮流がこれである。

 「ボナパルティズム」からは、ルソー的、ジャコバン主義的民主主義を継承したことが明瞭に認められる。従来の研究の視角 を離れて、ここで問うべきは、民主主義のなかに潜む「ファシスト的公共性」を準備するものの存在である。ルイ・ボナパルトは、第二共和政下で普通選挙によって大統領に就任し、次いでブルジョア共和派による選挙権制限に反発しクーデターに成功し、自らが皇帝となり普通選挙を復活させる。議会は大統領の執行権力に従属し、その権限を著しく弱められる。ルイ・ボナパルトは、小農層を中心に、職人、労働者などから広範な支持を集めた。ここには特定の階級的、党派的利害はなく、「国民」であるかどうかだけがその政治を支える要件であった。人民主権的な民主主義を体現する形で登場したのがボナパルトであり、それは議会主義への不信感の現われでもあった。マルクスが指摘するように、階級の利害がそのまま反映されないところに議会制の危機があった 。議会を軽視し、その代わりに、「国民」という媒介によって、人民と体制/指導者の関係が透明な政治社会を獲得することが望まれたのである。ボナパルトの下で、さまざまな階級が「国民」として和解し団結する。このような意図は、ボナパルトの台頭の前後に隆盛した「ナポレオン伝説」(建築、絵画、彫刻などの媒体にナポレオンが可視化される) や、帝政期に演出、組織され「国民」の自発的参加を伴った「国民祭典」 から読み取られるであろう。

 ルソーの民主主義に通底する、「国民」運動は後にも存在した。19世紀末の「ブーランジェ運動」は、既成の国民議会を廃し憲法を改正して大統領の直接選挙を復活させ、国家元首の一元支配を目指した大衆運動であり、ボナパルティズムの盛り上がりと相似する。彼はポスター、シャンソンで取り上げられ、灰皿、装飾品などに張り付けられた肖像は至るところに広まった。これもまた左派、右派の別なく支持を集め、激しい愛国的心情の発揚として運動は展開された。ナショナリズムは、既存の体制が人民から奪ってしまった詩情といったものを提供し人民の心をとらえる。しかしそれだけである。人民に計画性はなく、「参加」することは「感覚」を刺激する一時の興奮に過ぎないのである。

 ここで、最後にドゴールの存在を忘れてはならない。元首と人民が直接面と向かい合い親密な関係を築くのが、ボナパルティズムの固有の特徴の一つであるが、その意味でも、ドゴールは20世紀のナポレオンとして政治の舞台に登場したのではあるまいか。反議会主義、人民の熱狂、世論の尊重、人民投票への期待、国民の栄光の吹聴など、ボナパルティズムとの共通点は十分にある。彼と人民との関係は明らかに「ファシスト的公共性」の産物である。「政府は、もはや諸党派を欲しもしないし認めもしない。フランスに存在するのはフランス人だけである」。このナポレオンの言を胸に、彼は何度も直接的に国民と意思疎通した。「自由フランス」代表としてロンドンからのラジオ放送(「こちらロンドン、フランス人がフランス人に語りかけます・・・」)を皮切りに、テレビ放送などもあわせて視聴覚メディアを多用しながら、自らを国民の前に曝け出し、重要な問題についてはいくつも国民投票に懸けた。人民はドゴールの発する「国民の声」に応答する形で政治に「参加」する。そこでは「国民」の「神話」が創り出されそれに対する共感が得られた 。

 ドゴールは死んだが、議会よりも大統領に権限を重く置く、執行権優位の第五共和政で、直接民主制の経路を政治制度上に確保したことは、これまで述べてきたルソーの民主主義概念の伝統にのっとった結果である。しかしその背景にあるのは「ファシスト的公共性」である。カリスマ的な人気を集めた大統領が、その集中化された権力を行使して独裁制に走り、全体主義体制を生み出す可能性がフランスの政治制度にはある。しかし、フランス人はその危険性と引き換えに、容易に「参加」感覚を得ることのできるこのような政治装置を容認し自発的にそこにコミットするのである。フランス近代政治において、「ファシスト的公共性」はこのような姿で存在している。



<参考文献>
・安藤隆穂「啓蒙思想の公共空間」、安藤隆穂編『フランス革命と公共性』名古屋大学出版会 2003
・ミシェル・ヴィノック著 川上勉、中谷猛 監訳『ナショナリズム反ユダヤ主義ファシズム藤原書店 1995
・ユージン・ウェバー著 平井友義、富岡宜之訳『ファシズムの思想と行動』福村出版 1979
柄谷行人『<戦前>の思考』講談社学術文庫 2001
河野健二「ルソーとフランス革命」、河野健二フランス革命の思想と行動』岩波書店1970
・恒藤武二「ルソーの社会契約説と「一般意志」の理論」、桑原武夫編『ルソー研究 第二版』岩波書店 1976
カール・シュミット著 稲葉素之訳『現代議会主義の精神史的地位』みすず書房 1972
アンドレ=ジャン・テュデスク著 大石明夫訳 『フランスの民主主義』評論社 1974
・エリザベス・ノエル=ノイマン著 池田謙一訳 『沈黙の螺旋理論―世論形成過程の社会心理学』ブレーン出版 1985
・工藤光一「「国民祭典」と農村世界の政治文化−第二帝政下のシャンパーニュ地方−」、『思想』836号1994
佐藤卓己ファシスト的公共性―公共性の非自由主義モデル」、『民族・国家・エスニシティ岩波書店1996
佐藤卓己「「プロパガンダの世紀」と広報学の射程」、『広報・広告・プロパガンダ柏書房 2003
・西川長夫『フランスの近代とボナパルティズム岩波書店 1984
・山口定『現代ファシズム論の諸潮流』有斐閣 1976