cinna85mome2004-07-05


六波羅蜜寺
http://www.saikoku33.gr.jp/dai17/
http://www.tabiken.com/history/doc/T/T258C100.HTM
http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/story/story_index_2

 曇り空の中、京阪五条駅から東へ徒歩10分弱、六波羅蜜寺へ行ってきた。住宅地の中にまぎれてひっそりとたたずみ、規模もそう大きくないので、なかなか見つけにくかったが、道を聞きつつようやく到着。

 拝観料を払う際にもらったパンフレットによると、六波羅蜜寺は、天暦5年(951)、醍醐天皇第二皇子の光勝空也上人により開創されたそうである。当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曳きまわり念仏を唱えてついに病魔を鎮めたという。商人の死後、その高弟の一人により規模を増大させ荘厳華麗な天台別院として栄えた。この寺は、平家とも由縁がある。平安後期に、平忠盛が寺内に軍勢を止めてより、清盛に至り広大な境域内には、権勢を誇る平家一門の邸館が栄えその数5200余(!)に及んだとのこと。寿永2年(1183)、平家没落のとき諸堂は類焼し、本堂のみ焼失されなかった。

 ここには有名な像がいくつかある。空也上人立像と平清盛坐像(ここにその写真がある)が、素人でも知っている代表的な像だろう。拝観料500円を払って、10畳くらいの横長の小部屋に入ると真正面にその立像が置かれている。病気を払うために念仏を唱える「説法」を民に行なった上人の口からは、6体の小さな阿弥陀が飛び出している。「庶民的」で「わかりやすい」「巧みな」話術で「人気」の(だった)、日本の総理大臣小泉純一郎から、阿弥陀は現れるだろうか。この「尊敬すべきラッパー」(いとうせいこうみうらじゅん『見仏記』ISBN:4041846021 )に比類すべき言がこの日本の首相から聞かれるだろうか。そんなことを単純にも考えてしまった。清盛の坐像は、非常に落ち着いて気品があった。私はこんな表現は嫌いだが、「女性的」であると評する人もいるかもしれない。清盛はよく傲慢で尊大で気性の荒い悪辣な人と描かれることが多いが、そのような性格はこの像からはうかがえない。

 (私もその一人に限りなく近いだろうが)教科書によく載っている「古い」像を見たいミーハーな人には、この「宝庫」に来ることをお勧めします。