cinna85mome2004-06-06

http://www.liberation.fr/page.php?Article=212082

http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2004/06/01/20040601ddm007030050000c.html

http://permanent.nouvelobs.com/dossiers/20040602.OBS0043.html

 今日は、欧米の人々にとっては「記念」すべき日である。1944年6月6日、アメリカのアイゼンハウアーを総司令官とする米英軍が、フランス北部のノルマンディーに上陸し、ドイツ軍に交戦をしかけた。航空機13000機、艦船6000艘、兵員100万人を動員し、「大君主Overlord」との暗号名を持つこの大作戦は、連合国側の勝利に大きく貢献し、大戦の終結をより一層早めることとなった。こんにち、欧米では、”D-Day”として一般に呼ばれ、この日は、米英仏などの連合国側にとっては、「我々が現在生きている世界の創立に関係する神話」であり、世界第二次大戦の勝利を想起させる「集合的記憶」として認識されている。その50周年の式典が、今日ノルマンディーで行なわれる。

 元独兵の多くは今もこの作戦を「侵略」と呼ぶらしい。その「侵略」を祝う式典に、シュレーダーが、ドイツの首相として初めて参加する。世論調査では7割の独国民が首相の参加を歓迎しているが、以前のコール首相は当時、ドイツをナチスから「解放」したからといって、「何万人ものドイツ人が悲惨に死んだ戦場で、他の国が勝利を祝っているのを独首相が祝福する理由はない」として、参加を拒否した。このような思いに共感するドイツ人は未だに少なくないだろう。シュレーダー首相も、2万人以上の独兵が葬られた墓地に行く予定はないらしい(和解の象徴として英独両兵士の墓地にはろうそくの火を捧げるとのこと)。

 この複雑さは、根は違えど、ドイツの占領からまさに「解放」されることとなるフランス人においても共有する「記憶」として、昨今伝えられつつある。多数の民間人死者が出て、当時の戦乱の悲惨な現状を、当時生きていた庶民の、最近とみに噴出している「証言」とともに、「死者」を追悼し、反戦の思いを強くする契機となる式典としても認識されるようになっているのだ。式典は、単に「勝利」を想起するイヴェントという役割を超えて、「解放」に多数の死者が伴っていたということに力点を置きそれを「記憶」化しようとする人々の努力によって、「成熟」を遂げているのである。

 ノルマンディー地方の中心地カーン市にある平和記念館のステファン・シモネ館員は、「これまでレジスタンス(対ナチスドイツ抵抗運動)参加者、元軍人などの証言は集められてきたが、市民の話は『さまつな逸話』とみなされ、注意を引いてこなかった。だが、市民が証言に積極的になり、歴史家が話を聞くという対話が生まれた」と言う。このように、当時生きていた人の「記憶」を、歴史家はすくい取ることにより執心し、「歴史」化しなくてはいけないのだろう。そして、その「記憶」の受容と拡散の試みに、我々は積極的に参画しなければならないと思う。

 左派の仏紙『リベラシオン』は、「すたれることのない記憶」を探るべく、”D-Day”を記念する特別号を用意した(PDF形式で、2ユーロ払えばダウンロードできる)。ロベール・パクストン、フィリップ・ビュランらと共に『6 juin 44』という書物を上梓したジャン=ピエール・アゼマが論考を寄せている。

 余談だが、ノルマンディーに上陸した英米軍兵士によって、フランス人の住居すらも、略奪や破壊などの乱暴な目にあったとの証言も出てきているらしい。最近強まりを見せている反米意識は、人々の「記憶」を掘りおこし「歴史」の書き換えを促している。