いまもそこにある、美しさ

cinna85mome2005-05-18


http://www.trashcansinatras.com/main.html

昨日言っていたライヴに行ってきた。心斎橋まで自転車でむかい、そこでaすかとu子に会う。3人ともすきなthe trash can sinatrasのライヴは3人とも初体験で、ぼくはといえば昨日はよく眠れなかった。

演奏が始まる前に会場で5年くらいずっと会っていなかった、これまた音楽関連でのいろんな友達に会った。こんな人もあんな人も来ていて、予想外だった。程なくして、もういい年の「トラキャン」が登場する。彼らは20年以上の音楽活動歴があるにもかかわらず、アルバム枚数4枚(厳密に言えば、他にEP1枚、未発表曲集2枚)というスローペースなバンドで、それが原因なのかわからないけれど、駄作は全然なく、流麗なギターと、少しセンチメンタルな詩、角の取れた柔らかい声はいつも変わらない。

ヴォーカルのフランシスはやや興奮気味で音程もかなり外れ、前半ははっきりいってむちゃくちゃだった。ライヴバンドではないことだろうくらいは予想していたのだが、ここまでとは思わなかった。選曲にも問題があったと個人的には思う。ぼくの大好きなhow can I apply...?(上記のサイトでダウンロードできます、横のは直リンhttp://www.trashcansinatras.com/audio/howcaniapply013199.mp3)とobscurity knocks(ヴァージョン違いが聞けますがリンク貼りません、お勧めできません)はそれぞれ2曲目と7曲目に演奏されてやや早すぎた。アンコールを入れて全部で22曲やったと思うのだが、順番もあまり正確に覚えている自信がないので、正確に覚えている上記の曲だけ記しておく。

だんだんと落ち着いてきたころ、Leave me aloneをしっとりと聞かせてくれた。これには感動した(http://www.trashcansinatras.com/audio/leavemealone020999.mp3、これはお勧めできます。リンク貼っておきます。ぼくが聴いたものの方が断然良かったですが)。

ライブは後半持ち直して、心地よい気分にひたれることができた。彼らが目の前で演奏していることが信じられなかった。最後にはぼんやりとして自分がどこにいるのかもわからなかった。20年間も変わらずこのような音楽を奏で続けてきたことを考えると余計にそうなった。

1時間半強くらいの時間、立ち続けることをこの頃したことがないせいか、腰が今も痛む。5年前の、割と活動的だった頃に比べると、情けない体にだんだんなっているようだ。痛みが現実へ帰ってきたことを教えてくれた。久しぶりに再会した友人らは、容赦なくこれに追い討ちをかけた。彼らのうちの一人は、ライヴ後「胸がきゅんとした」と嬉しそうにしていて、ぼくがよく知っていた頃とほとんど変わらない台詞を他にも何度も発し続け、その間、ぼくの腰はぎしぎしとひずみ、5年なんて短いはずなのに、体は敏感にその時間の重みをひきずっていた。あの頃と全然違うことをやっている今のぼくと彼らの間には、距離以外もう何もないのだなと観念した。「思えば遠くにきたもんだ」と軽やかに自分を突き放せる瞬間がいつ訪れるのかと思うと恐ろしくなり、逃げるようにして家に向った。



帰り道、御堂筋の側道を走る。向こうから群をなして走ってくる車のヘッドライトと、並木道に守られるようにしてたたずむ街灯の静かで重い光が交差するなか、ぼくはどこを走っているのだろうと悄然として、ただペダルを踏み続けた。御堂筋の夜の木々は、これからもずっと、やさしい光に茫然と照らされ、いつまでもいつまでもそこにあるだろう。




彼らの音楽にしても、この夜の光景にしても、美しさは変化することを知らないんだな。美しさだけが変化しないでいられるんだな。こんな当たり前のことを忘れていた。