杉浦圭子さん

7時30分起床。9時半から12時まで大学横の関西日仏学館でフランス語の授業を受ける。フランスのテレビ局、France 2のニュースを聞いて理解しそれについて議論。フランスのアフリカ系移民の女性2人が創るファッション雑誌の成功など、なかなか興味深い話題だったのだが、これについてはまたいつかの機会に。



今日は15時からNHKアナウンサーの杉浦圭子さんの講演があったので拝聴した。前から思っていたのだが、アナウンサーというのは、なにかを伝えようとするときどれくらい自分の意見を反映させるできるのか。たまたま、今日はおおむねそういう話だった。彼女の場合は、今年の3月いっぱいまで、「生活ホットモーニング」という朝の番組を5年くらい務めていたということで、「フリートーク」で生放送のこの番組で、「単に台本を読むだけではなく、自分なりの視点をどうやって打ち出せるか」ということを常に考えていたそうである。冒頭にこのようなことを話された後は、自身の経験談が中心で、今私はこんなことを考えているんだけれど、あなた方はこれについてどう思いますか、というようなことでは全然なくて、そういう本なりテクスト(論文のこと)ばかり読んでいる僕には、新鮮だった。

経験談が中心だったので、「がんで苦しんでいる人にインタヴューするとき辛かった」というような話が前面に出て、彼女の「自分なりの視点」と、その取り出し方というところがいまいちよくわからず、やや不満が残った。

非常に顕著なのは、彼女が講演中によく使っていた言葉が、「共感」と「自分なりの視点」という2語だったということ。他人に「共感」してもらうことは、われわれキャスターにとって一番大事なのだということをなんどか口にされた。それを「自分なりに」視聴者の方に提示していく。シャンプーは地肌につけリンスは髪の毛につけるとか、そういう生活の知恵・情報を共感をもって受け入れてもらうということ、それがわれわれの仕事なのだそうだ。「共感」されることを前提とする「自分らしさ」というのはいったい何なんだろう。ほんとうにそれは「自分らし」くなっているのだろうか。共感されないような「自分らしさ」は「自分らしさ」として認めてもらえないということなのだろうか。


ぼくはこの辺で悩んでしまうのだが、杉浦さんはこの関係については一切触れなかった。


話の最後の方で、自身の娘に向けて書いた原爆についてのエッセイを朗読され、途中で何度か声を震わせていらっしゃった。ほんとうに「真面目」でいい人なんだろうなと思った。